萩本欽一さん



「繋がれた部屋」の解説を、萩本欽一さんに書いていただくことになりました。

村 上 海 図

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**your signature**     **your signature**     フリーアナウンサー。子供時代はロサンゼルスで過ごし、大学卒業後フジテレビに入社。自然体のキャラクターで人気を集める。プロ野球選手・石井一久氏と結婚後、石井氏が大リーグに移籍の際は、ともにロサンゼルス、ニューヨークへ移住していた。数々のテレビ番組やCM、公式イベントの司会などで活躍し続ける。7歳から本格的に書に目覚め、栃木春光に師事。高校在学中に師範の免許を取得。水墨画は関澤玉誠に師事。書家として文字に命を吹き込み、独自のリズム感や心象を表現、国内外で多数受賞。 自然界の「曲線美」を書技によって追求し「自も他もなく、全ては一つであり調和している」という、自然と人間、万物の調和が世界平和の一助を担うという信条を持ち創作活動を行う。ミュージシャン、アーティスト。’85年米米CLUBとしてデビュー。バンドを総合的にプロデュースし多くのヒット曲をリリースする。映画監督としても活動の場を広げ、’94年『河童』、’96年『ACRI』を公開。’01年9・11のアメリカ同時多発テロをきっかけに始まった「GROUND ANGEL」は、活動10年目となる’11年の3・11より、東日本大震災被災者への支援を主軸とし、ライブ、アートイベント等様々な活動を行っている。動物愛護生物保全活動家。一般財団法人クリステル・ヴィ・アンサンブル代表理事(アニマル・ウェルフェアに則った犬猫の殺処分ゼロ・ 生物多様性保全を目的に設立)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問を務める。2018年にフランス国家功労勲章シュヴァリエなど複数の勲章を受章。パラリンピック日本代表銀メダリスト。2006年トリノ、2010年バンクーバー、2018年平昌と3回大会パラアイスホッケー競技でパラリンピックに出場。NPO法人D-SHiPS32、一般社団法人障害攻略課の創立者やHEROsアンバサダーも務め、アスリートが社会貢献する日本を作るために活動をしている。Dialogue of People 所属フォトジャーナリスト、ライター。紛争、貧困の問題、人間の思想とその可能性を追い求め、アフリカや中東など世界各地を取材。東日本大震災以降、継

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ZEN, KOMAZAWA, HUMOR

仏教の素敵な言葉と出会うために、2015年駒澤大学に入学したコメディアンの萩本欽一さんと、長谷部学長が「禅・駒澤・ユーモア」というテーマを軸に対談をしました。 学長の「みんなを(いい意味で)裏切りましょう」という言葉のもと、駒澤に通った4年間を「最高に楽しい大学生活」と、萩本さんは振り返ります。その背景には禅との出会いや学長の忘れられない台詞、卒論、思わぬ再会などがありました。 駒澤で出会った忘れられない台詞 長谷部:欽ちゃん、お久しぶりです。 萩本:ほんとですね。学長さんになられてからは会えなくなりましたね。 長谷部:ですね。 萩本:一番最初に駒澤に来たとき。 長谷部:あのとき覚えてます? 萩本:はい。私が初めて駒澤に合格して、学校でちょっとお話ししたいからって。一番最初にお話を聞いたのが長谷部先生で。僕が駒澤に来て良かったと思ったのはね、「欽ちゃん、あのね。どうも先生たちがね、勉強で授業に来ないんじゃないか」って言ってるよっていう。 長谷部:そうでした。 萩本:「あぁ、みんな遊びと思ってるんでしょうね」と言ったら、「欽ちゃん、みんなを裏切ろうよ」って。いいでしょ、いい台詞ですね。で、僕がね、当然、先生の話に乗りますよって言って出ようとしたら、「欽ちゃん、ちょっと待て」って。「はい、何ですか」ったらね、僕を指差して、「これから鍛えるよ」って言ったのが最後の台詞。いいですね。あの台詞、忘れませんよ。 長谷部:私もね、そういうふうに言ったこと、しっかり覚えてます。 萩本:最後の「鍛えるよ」ってのは。 長谷部:やっぱりね、鍛えたいな。鍛えがいがあるなと、お会いして第一印象思ったんですね。世で活躍をされてる、あの萩本欽一さん。まあ、コメディの世界ではもう超一流。そしてそれだけの人気を博してきた方が、駒澤大学の仏教学部に入ったというのは、いろんな見方があったと思うんです、世の中では。 だけれども、私はそのときに欽ちゃんとお会いして強く思ったのは、この人は本気だなと。その本気度というのを確かめたいという思いが「欽ちゃん、鍛えるよ」という言葉になったんですね。

ZEN, KOMAZAWA, 1592






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